代筆される文章が上手すぎないか心配です


こんにちは!卒論代行書ける屋の山川です。

今日は依頼主さんからよく来る相談を取り上げたいと思います。

「論文依頼したとしても、文章が上手すぎたら私が書いたように見えないと思います。不安です。書くのが苦手なので、難易度を合わせてもらえますか?」

結論から言うと、依頼主さんの要望に合わせて文章の難易度を調整することは可能です。

実際論文を納品してから修正のリクエストを尋ねると、難易度を上げるよりも、「もう少し簡単にしてほしい」と言われることの方が多いです。

じゃあどうやって難易度を調整しているの?

という質問もいただきます。これは皆さんの先輩方とのやりとりや経験の蓄積を踏まえて対応しています。

みなさんが出される要望はほとんど過去に先輩たちが出したものです。したがって、依頼主さんの文体や雰囲気と先輩方のデータで文章の難易度を調整します。

分量の多い卒論の場合、中間報告時に難易度の確認ができます!

「もう少し文章を柔らかくしてほしい」

「もうちょっと簡単な表現がいい」

「誤字脱字が少しあってもいいくらい」

このように過去の先輩方からリクエストをいただくことがありました。

ですから、みなさんも依頼された際には遠慮なく言っていただけたらと思います!

 

趣味を卒論にしたい!


こんにちは。論文代行書ける屋の山川です。

「趣味を卒論にできたらいいな」

皆さんの先輩方からたまに寄せられていた相談、というよりも願望です。結論から言うと、卒論になるケースとそうでないケースがあります。

例えば、筆者の趣味はカードゲームです。

これは卒論にできると思いますか?

これはできます。

・カードゲームの市場が伸びている

・大手上場企業の決算書でも取り上げられている

・カードゲームショップにインタビューやヒアリングができる

理由は他にもありますが、重要な点は上記の三つです。今伸び盛りのものであれば、ネット上に様々な記事や情報があふれていきます。そういった内容から、卒論に適切なものを取捨選択する道筋が生まれます。

願わくは書籍や論文が出ているといいのですが、最近のトレンド的なものを扱う場合、そういった信ぴょう性の高い書籍を使えないデメリットがあります。

大手上場企業の決算書は卒論で威力を発揮します。

「こんなの読むの難しいよ」、「いったいどうやって探すの?」、「初耳!」、皆さんの先輩たちにこれまで何度も説明してきましたが、反応はこんな感じでした。

カードゲームであれば、バンダイナムコさんなどが決算書で取り上げています。もしあなたがやっている趣味が大手企業が手掛けているものであれば、決算書に取り上げられていることがあります。

「企業名 決算書」こんな感じで検索をかければ、情報を得られます。あなたの趣味を手掛けている企業が出している内容であれば、当然信ぴょう性も抜群です。また、企業の決算書を卒論で生かす人はまだ珍しいので、独自性もあっという間に確保できます。

最後にインタビューができるか。これは必須とまでは行きませんが、もしできるならすごくうまみがあります。卒論ではある程度の独自性が求められます。

「実験もしないのに独自性?」

皆さんの先輩の多くがこの問題にぶち当たって困っていました。しかし、趣味関係であれば、趣味の友人や知人を通じてインタビューやヒアリングを容易にできるケースが多いです。

ここまでが、趣味を卒論にできるケースです。

卒論にしにくいのはどういうものかというと、これらの条件に全く当てはまらないものとなります。

今伸び盛りじゃないと、鮮度の高い情報が得られなません。

企業が携わっていないと、有意義な情報が得られません。

インタビューやヒアリングが難しいと、独自性が出せません。

こういった観点で趣味を卒論にできるか検討していただけたらと思います。

趣味で卒論を書こうと思って、迷ったり、困ったりしたらいつでもご相談くださいませ。皆さんの先輩たちのお手伝いをしてきたので、お力になれます!

少子高齢化が卒論のテーマです


こんにちは。論文代行書ける屋の山川です。

少子高齢化をテーマに卒論を書きたいんです!

こう言って相談に見えた依頼主さんとのお話を今日はします。数年前から少子高齢化は興味を持たれるテーマの1つになりました。日本を取り巻く社会問題として、もっとも重要な問題です。

皆さんは卒論を仕上げたら、いよいよ社会に出ます。今までは社会に支えられていた側から、これからは社会を支える側になります。

問題意識としても少子高齢化は適切なものと言えます。

とは言え、「どんな切り口で書けばいいのだろう?」「テーマがまだ抽象的過ぎるなぁ・・・」と、心配で筆が進まないのもわかります。

ここで、ヒントの一つを提示します。

昔の人は5人も6人も子どもを平気で育てていたのに、なんで今の人は2人育てるのに精いっぱいなんだ?

上記のような疑問を抱いてみましょう。みなさんのおじいちゃんやおばあちゃんにちょっとお話を聞いてみるのもいいでしょう。

上記の問いはすごく大事なものです。なぜなら、現代を生きる我々には高機能な洗濯機や掃除機、調理道具などがあります。家事の負担は昔に比べたらはるかに楽になっています。

また、情報がなければyoutubeやgoogle検索、SNSなどを駆使すれば、必要な情報にもアクセスできます。

道具が進化して便利になっているならば、「今の人は5人や6人どころではなく12人くらい育てられてもいいのではないか?」と思考を進めることができます。

しかし、現実にはそうはなっていません。では、現代人は昔の人に比べて退化してしまったのでしょうか?

道具の進化に甘え、昔の人ができたことが何一つできない軟弱な者に成り果ててしまったのか。

これもまた少し違うと言えます。1-2世代で人類はそこまで肉体的には変わりません。価値観は変わるでしょうが。

これらを踏まえて、一つの仮説が立てられます。

昔の人は子どもを労働力として扱っていた。今の人は労働させないから厳しくなったのではないか

実際筆者が年配の人たちにヒアリングすると、「子どもに子どもの面倒を見させた」、「子どもに床掃除や荷物運びを毎日手伝わせていた」といった話がよく出てきます。

他にも「食卓に座るのは大人だけ」、「子どもはいいものが食べたければ、しっかり働いて家に貢献しないといけない」といった内容も聞かされます。

現代の感覚だと子どもが労働というのはしっくりこないでしょう。皆さんもアルバイトやちょっとしたお手伝いは経験したことがあると思いますが、毎日家の仕事を手伝うといったことはほとんどないでしょう。

昔は掃除機も洗濯機もなかったか、あったとしても性能が今より低かったのです。家庭内でやらなければいけないことをこなすには、子どもの手まで借りなければいけなかったのです。

したがって、子どもを5人も6人も育てたというより、家庭内労働力として子どもがそれだけ必要だったと見ることができます。

道具の進化により、家庭内労働力としての子どもは求められなくなりました。かわりに、親が愛情を注ぐ対象として子どもの位置づけが変わったと見ることができます。

親が家事を全部こなし、子どもはせいぜいちょっとしたお手伝いだけ。こうなると、何人も育てるのは難しくなります。

仮に現代の条件や環境であれば、昔の人が今の時代にやってきたとしても我々と同じような対応になると考えられます。

今日の記事は以上です。子どもが昔は家庭内労働力として扱われていたのに対し、現在ではそういった扱いがなくなったことが、結果として少子高齢化につながっているのではないか。こうした着眼点や問題意識から論じてみるのも、切り口として鋭くなります。

実際に書き進めてみて、わからなくなったり、困ったりしたらいつでもご相談ください!