論文サンプル「幼少期のスキンシップ」


論文代行の書ける屋です。今日は論文サンプルとして、幼少期のスキンシップをテーマにとりあげます。子どもや教育関係の学部にいる方にとって、「スキンシップの重要性」は卒論や修論でも取り上げられる論点といえるでしょう。

サンプル課題 「幼少期のスキンシップについて論じなさい」

サンプル論文
幼少期の子どもにとって、スキンシップはどのような影響があるのだろうか。また、幼少期におけるスキンシップの量は、子どもが成長していく過程で、本人の成長にどの様に影響していくのだろうか。

日本では一般的に、触れない(スキンシップをあまりしない)育児方法を行い、情緒的なものを子どもに与えるべきではなく、理性的判断に基づいて接するべきだと言われる。
例えば、
「あまり抱っこばかりしていると抱きグセがつくから良くない」
「早く子どもを親から自立させるために、小さい頃から独りで寝かせるクセをつけよう」
といった具合に育児の現場では伝えられている。つまり、子どもが母親に甘えてしまい、離れられなくなることを心配しているのだ。また、「理性的判断に基づいて接するべき」ということは、子どもがスキンシップを求めても積極的には応じず、「何らかの理由」があるときにだけ応じる、ということになる。例を挙げると、子どもが何かいいことをしたときの「ご褒美」としてのスキンシップだ。
この背景には、他にも人前でのスキンシップやボディランゲージを恥ずかしいものとみなす考え方もあるからだ。特に、欧米におけるスキンシップと比較すると、日本人のスキンシップは少ないものと言えよう。
「人はなぜスキンシップをとるのだろうか」という理由は
①普遍的かつ確実なコミュニケーションの手段として用いるから
②人間の本能だから
と考えられる。

この定義に当てはめると、日本で一般的に言われている育児方法は、①を大きく制限するため、子どもと母親(もしくは父親)間のコミュニケーション方法が限定されることになる。人が言葉もしくは言葉らしきものを話すのは、1歳~2歳の頃からである。従って、言葉を話せるようになるまで、子どもは母親と言語を用いないコミュニケーション方法を取るより他ない。具体的に言うと、顔の表情を変えることや、泣くこと、そして、スキンシップの3つである。これら3つのうち1つの方法、つまりスキンシップを制限することで、親子間のコミュニケーションが減ってしまうという問題がある。ただ減るだけではなく、コミュニケーションの質そのものも低下してしまう。また、コミュニケーションにおける言葉の役割はたった2割とも言われている。残りは何で補っているかと言うと、実はスキンシップや身振り、表情なのである。日本での育児方法には、言外に情緒的ではなく理知的な子どもを育てようというものがあるかもしれないが、言語の役割が2割であることを考慮すると、決して効率的とは言えまい。そこは、やはり恥の文化の影響も大きいと考えられる。だからこそ、これは大きな問題ではなかろうか。
また、②で言うところの本能も必然的に抑えることになる。もちろん人間社会において全員が本能をむき出しにしては成り立って行かないから、幼少期からのしつけの一環として「情緒的なものを与えるべきではなく、理性的判断に基づいて接するべき」というのも一理あるし、文化的な根拠もあるのだ。

こういった背景や意見がある中で、私は、幼少期のスキンシップは育児に対し重要であるから、抱きしめる、さするなどのスキンシップを積極的に行いながら接するべきだと考える。その根拠となる私の考えは2つある。1つ目は、幼少期の子どもが日常生活から受けているストレスを解消するため。2つ目は、子どもたちへ存在感を与えることが社会的な問題を解決する上で有意義であるからだ。
まず、前者について。人間は触れられるとオキシトシンという「安心ホルモン」と言われるものが分泌される。これは人との信頼関係を築くのに重要な役割を果たしている。幼少期の子どもは、私たちが考える以上に日々ストレスにさらされている(注1)。私たちにとって当たり前のことであっても、子どもたちにとっては当たり前のことではないということが多々ある。見るもの・聞くもの・触れるもの・経験するものに対して大きな刺激を受けているのだ。当然そこにはストレスもある。そのストレスを解消してあげられるのは、やはり家族であり、スキンシップが有効な手段なのだ。また、オキシトシンという「安心ホルモン」はねぎらいの言葉や励ましの言葉をかけられても分泌するが、抱きしめられたときの方が、圧倒的に分泌量が多いのだ(注2)。

(以下サンプルのため省略)

注は下記より引用

1 国際スキンシップ協会HP「スキンシップの語源」
2 「スキンシップと癒し」

さて、論文やレポートとしてのイメージはつかめましたか?詳しい解説は次回の記事で述べます。文章の難易度は人それぞれなので、このサンプルの難易度ではなく、雰囲気や、どういうストーリー展開にしているのかといった点に着目頂ければと思います。

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日本の気候に着目した卒論考察の展開


連休中に台風が来ることで話題になっていますね。

日本の歴史を振り返ると、台風などの天候は大きな影響を与えてきました。そこで、今日は卒論のテーマとして、天候や気候に着目した考察についてお話します。

「いったいなんだそれは?」と言われる気しかしないのですが、「日本の歴史」「文化「食文化」「庶民の生活」「文学」など、幅広い卒論のテーマで天候や気候に着目した考察は使えるのです!

1 飢饉について

「恵みの雨」という言葉があるように、雨が降らないと米がとれず、その年の日本の食生活は大変なことになります。今の時代であれば、天気予報やアメダスのおかげで、どんな天気になりそうかはなんとなくわかりますし、研究も進められています。でも、昔の日本では古典的な天気予報(雲の形、動物の様子)しかなかったわけですし、雨が降らない理由がなんなのかがわからなかったわけです。

例えば、雨が降らないのは「トップが悪いからだ」「仏様のバチがあたった」といったように、現代では考えられないような理由がまかり通ったわけです。

つまり、当時の天候が不安定だったという記述をみつければ、そこから、文化や宗教に結び付けることが可能になるのです。

2 国内の戦いについて

平安時代末期の平氏と源氏の戦い、戦国時代の合戦など、日本では多くの戦いが繰り広げられてきました。現代の戦争でも天候が与える影響は大きいですが、昔の戦いではもっと影響が大きくなります。身近な例を挙げると、雨の中の山道を歩くのは、地面がぬかるんで大変ですよね?しかも、戦いの際には何百人、何千人もがぬかるんだ道を歩いたり走ったりするので、それこそ前に進んだり後ろに下がったりするのも大変だと予想されます。

ほとんどの戦いは、数が多くて準備万全な方が勝ちます(例外もありますが、桶狭間の戦いのように数が少ないです。なお、桶狭間の戦いも近年ではいろんな研究事例が報告されています)。ですが、この「数の量」を逆転する要素の一つが天気だったわけです。

教科書にも出てくる元寇では、「神風」として台風が決定打を与えたと認識されている方も多いでしょう(ご存知の方もいますが、近年の研究では、天候以前に日本側が相手の上陸を防ぐための工夫や成果が多く報告されています)。

このように、天気に着目するだけで、論文には新たな視点が盛り込まれます。

以上です。行き詰った方はぜひ試してみてくださいね。