幼少期のスキンシップ~サンプル解説


サンプル論文の解説をします。サンプルとしてあげた「幼少期のスキンシップ」はこちらへ

1冒頭部
 幼少期の子どもにとって、スキンシップはどのような影響があるのだろうか。また、幼少期におけるスキンシップの量は、子どもが成長していく過程で、本人の成長にどの様に影響していくのだろうか。

まず問題提起ですね。これはレポートでどのような問題文を出されているのかに合わせて変更頂ければ問題ありません。

2具体的な事例を出して論点を絞りに行く

日本では一般的に、触れない(スキンシップをあまりしない)育児方法を行い、情緒的なものを子どもに与えるべきではなく、理性的判断に基づいて接するべきだと言われる。
 (中略)
 例を挙げると、子どもが何かいいことをしたときの「ご褒美」としてのスキンシップだ。

レポートの質を高めるには、身近な事例やこれまでの見聞を盛り込むことが重要です。また、具体的な経験を冗長に書くのではなく、端的にまとめつつ、「他の場面でも当てはまるよね?」と抽象化すると説得力が増します。

3 背景説明

この背景には、他にも人前でのスキンシップやボディランゲージを恥ずかしいものとみなす考え方もあるからだ。

2で挙げた抽象化です。日本の文化や価値観を盛り込むと、採点者も納得してくれます。

4 調べたことや知っていることを論じる

この定義に当てはめると、日本で一般的に言われている育児方法は、①を大きく制限するため、子どもと母親(もしくは父親)間のコミュニケーション方法が限定されることになる。

(中略)
幼少期からのしつけの一環として「情緒的なものを与えるべきではなく、理性的判断に基づいて接するべき」というのも一理あるし、文化的な根拠もあるのだ。

論文やレポートのコツですが、どちらかの立場に立ちたいとしても、反対意見の根拠も示しておくと、自身の立場を説明する際に、「相手の意見も分かったうえでの反論」が効果的にでき、論文としての価値が高まります。

5 自分の立場を表明して根拠も述べる

こういった背景や意見がある中で、私は、幼少期のスキンシップは育児に対し重要であるから、抱きしめる、さするなどのスキンシップを積極的に行いながら接するべきだと考える。その根拠となる私の考えは2つある(以下略)。

今回のサンプルでは前置きが長く、自分の意見を表明するまでだいぶ時間がかかっていますね(笑)。ですが、しっかりと状況を理解した上での立場表明となっているので、一般的なレポート課題であれば問題ありません。

また、自分の立場を表明するだけでなく「根拠は○点ある」と述べたうえで、それぞれの根拠を述べていくと読みやすくなります。

以上が解説になります。今回のサンプルは他のテーマでも応用がきくので、ひな形としてのご利用はご自由にどうぞ(ただし、そのままコピペすると学校にバレるから、それはやめてくださいね)

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論文サンプル「幼少期のスキンシップ」


論文代行の書ける屋です。今日は論文サンプルとして、幼少期のスキンシップをテーマにとりあげます。子どもや教育関係の学部にいる方にとって、「スキンシップの重要性」は卒論や修論でも取り上げられる論点といえるでしょう。

サンプル課題 「幼少期のスキンシップについて論じなさい」

サンプル論文
幼少期の子どもにとって、スキンシップはどのような影響があるのだろうか。また、幼少期におけるスキンシップの量は、子どもが成長していく過程で、本人の成長にどの様に影響していくのだろうか。

日本では一般的に、触れない(スキンシップをあまりしない)育児方法を行い、情緒的なものを子どもに与えるべきではなく、理性的判断に基づいて接するべきだと言われる。
例えば、
「あまり抱っこばかりしていると抱きグセがつくから良くない」
「早く子どもを親から自立させるために、小さい頃から独りで寝かせるクセをつけよう」
といった具合に育児の現場では伝えられている。つまり、子どもが母親に甘えてしまい、離れられなくなることを心配しているのだ。また、「理性的判断に基づいて接するべき」ということは、子どもがスキンシップを求めても積極的には応じず、「何らかの理由」があるときにだけ応じる、ということになる。例を挙げると、子どもが何かいいことをしたときの「ご褒美」としてのスキンシップだ。
この背景には、他にも人前でのスキンシップやボディランゲージを恥ずかしいものとみなす考え方もあるからだ。特に、欧米におけるスキンシップと比較すると、日本人のスキンシップは少ないものと言えよう。
「人はなぜスキンシップをとるのだろうか」という理由は
①普遍的かつ確実なコミュニケーションの手段として用いるから
②人間の本能だから
と考えられる。

この定義に当てはめると、日本で一般的に言われている育児方法は、①を大きく制限するため、子どもと母親(もしくは父親)間のコミュニケーション方法が限定されることになる。人が言葉もしくは言葉らしきものを話すのは、1歳~2歳の頃からである。従って、言葉を話せるようになるまで、子どもは母親と言語を用いないコミュニケーション方法を取るより他ない。具体的に言うと、顔の表情を変えることや、泣くこと、そして、スキンシップの3つである。これら3つのうち1つの方法、つまりスキンシップを制限することで、親子間のコミュニケーションが減ってしまうという問題がある。ただ減るだけではなく、コミュニケーションの質そのものも低下してしまう。また、コミュニケーションにおける言葉の役割はたった2割とも言われている。残りは何で補っているかと言うと、実はスキンシップや身振り、表情なのである。日本での育児方法には、言外に情緒的ではなく理知的な子どもを育てようというものがあるかもしれないが、言語の役割が2割であることを考慮すると、決して効率的とは言えまい。そこは、やはり恥の文化の影響も大きいと考えられる。だからこそ、これは大きな問題ではなかろうか。
また、②で言うところの本能も必然的に抑えることになる。もちろん人間社会において全員が本能をむき出しにしては成り立って行かないから、幼少期からのしつけの一環として「情緒的なものを与えるべきではなく、理性的判断に基づいて接するべき」というのも一理あるし、文化的な根拠もあるのだ。

こういった背景や意見がある中で、私は、幼少期のスキンシップは育児に対し重要であるから、抱きしめる、さするなどのスキンシップを積極的に行いながら接するべきだと考える。その根拠となる私の考えは2つある。1つ目は、幼少期の子どもが日常生活から受けているストレスを解消するため。2つ目は、子どもたちへ存在感を与えることが社会的な問題を解決する上で有意義であるからだ。
まず、前者について。人間は触れられるとオキシトシンという「安心ホルモン」と言われるものが分泌される。これは人との信頼関係を築くのに重要な役割を果たしている。幼少期の子どもは、私たちが考える以上に日々ストレスにさらされている(注1)。私たちにとって当たり前のことであっても、子どもたちにとっては当たり前のことではないということが多々ある。見るもの・聞くもの・触れるもの・経験するものに対して大きな刺激を受けているのだ。当然そこにはストレスもある。そのストレスを解消してあげられるのは、やはり家族であり、スキンシップが有効な手段なのだ。また、オキシトシンという「安心ホルモン」はねぎらいの言葉や励ましの言葉をかけられても分泌するが、抱きしめられたときの方が、圧倒的に分泌量が多いのだ(注2)。

(以下サンプルのため省略)

注は下記より引用

1 国際スキンシップ協会HP「スキンシップの語源」
2 「スキンシップと癒し」

さて、論文やレポートとしてのイメージはつかめましたか?詳しい解説は次回の記事で述べます。文章の難易度は人それぞれなので、このサンプルの難易度ではなく、雰囲気や、どういうストーリー展開にしているのかといった点に着目頂ければと思います。

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