卒論代行サンプル「ファミリーフレンドリー」施策


卒論代行の書ける屋です。今回はファミリーフレンドリー施策について卒論サンプルを公開します。ファミリーフレンドリー(以下ファミフレと表記)施策は、いわゆる家庭と仕事の両立ですね。

社会学部の方は、日本の雇用体系や労働環境に対して問題意識を持つことが多いので、卒論の題材としても、ファミフレがどんなものか知っておくことで、卒論の選択肢の幅が広がります。

「ファミフレ」施策の導入が企業に求められている背景として、脇阪氏は次の3点を挙げている。

第一に家族形態の多様化により、育児と仕事の両立が働く人々の生活上の大きな課題

になってきていることである。「夫が働き手で妻が家事と育児に専念」という伝統的家族が減少し、共働きが増加、離婚などによって仕事をもったー人親家族も増えている。

第二に性別役割分業観の弱まりである。男性では、伝統的な性別役割分業を支持する者

がかなりの比重を占めているものの、男女ともに従来の価値観は衰退しているのは確かで

ある。女性のすべてが男性と同様の働き方を求めているわけではないが、結婚後も仕事を

継続する女性が増えている。同時に男性も仕事以外の生活を重視し、生活と仕事の調和を

可能とする働き方を求めはじめている。

第三に少子高齢化である。出生率の低下は、家族政策の優先順位を高め、人口の高齢化の進展は、要介護老人が家庭にいる世帯への配慮の必要性を高めた(PHP新書日本型ワークシェアリング 脇阪明著164頁)。

このように企業で働く従業員の就業観やライフスタイルが大きく変化してきているにもかかわらず、人事や働き方の仕組みはいまだ十分に対応できていない。そのため仕事と生活のコンフリクトに直面している従業員は少なくない。これは職場における従業員の生産性や創造性を低下させ、働き方にも悪影響を及ぼす。こうしたことから、将来的には企業が取り組むべき労働条件の整備として「ファミフレ」の導入が大きな課題になる。

「ファミフレ」施策の具体的な例は、パートタイム勤務や育児休業、介護休業などのほかに、1つの仕事を二人で受け持つ「ジョブシェアリング」や有給休暇の拡充などがある。その他に「フレックスタイム」、子供の夏期休暇などに合わせる「学期勤務」、「在宅勤務」なども同施策と考えられる。

以上がファミフレ政策をまとめたものになります。実際に卒論で取り上げようと思った方は脇阪明氏の著書に目を通すことを強くお勧めします。

論文代行見本「表現の自由」


卒論代行・論文代行の書ける屋です。先ほど法律に関するお問い合わせのお電話を頂いたので、今回は憲法の「表現の自由」を取り上げます。法律関係の学問に取り組んでいる方にとって、憲法は避けて通ることができません。また、法律を専門にしていない方でも、一般教養科目や必修科目で憲法と向き合う場合があります。今回の表現の自由は、マスコミやマスメディアの報道姿勢とも絡むので、ホットな話題とも言えましょう。

本論では、表現の自由について述べる。

表現の自由は、「集会、結社及び言論、出版そのほか一切の表現の自由は、これを保障する。」とした憲法条文二一条第一項と、通信に関して述べた第二項によって規定されている。思想及び良心の自由が、主に個人の内的な活動についてのもの、つまり「内心の自由」であるのに対して、表現の自由は外部にそれを発信するという性質を持つ。そのため、内心の自由よりもより公共の福祉を理由とした制限を受けやすい。しかしここで重要なのは、その表現が誰かの権利を侵害し、公共の福祉に反するかどうかは、その表現が実際に行われるのを待たなくてはならないとわからないという点である。こうした点から、二一条第二項において検閲の禁止を定めたのである。

事後的にある表現が反しうる公共の福祉とは、例えば過度のわいせつ性であるとか、私人のプライパシーに関するものであるとかである(1)。また表現の自由に関する重要な判例の一つとして、外務省機密漏えい事件がある。これは一九七二年五月の沖縄返還に際して、日本からアメリカに400万ドルの供与という密約が交わされたことが野党委員によって暴露され、その情報が外務省女性事務官と毎日新聞記者によってもたらされた事件であった。

この裁判では、表現の自由が国家の秘密に対してどの程度迫りうるか、またそうした表現のための資料収集活動はどのような法的位置づけを持つかが争点となった、判決では、国家の秘密の内、合法でかつ実質的に秘密として保護するだけの価値がある情報については保護されなくてはならないとし、外務省女性事務官は国家公務員法一〇〇条一項「守秘義務違反」によって有罪となった(2)また資料収集活動は報道という表現の自由のためのもので尊重に値するという前提の下、毎日新聞記者が女性に肉体関係を持った上で情報漏えいを促したこと点が社会観念上許されないものであるとし、記者も有罪となった。

(1)(2)

どちらにも共通しているのですが、憲法の理念にのっとってさえいれば、「何をしてもいい」とは限らないというのが論文やレポートを書く際のポイントになります。論文を書く際のコツになりますが、一般論を追っていくだけだと、甘い考察にしかなりません。普通に考えたら起こりえない例外事例がなんなのか、いわゆる「法律に抜け穴」のようなものを見つけ出す視点で取り組むと、論文としての深みが出たり、新たな論拠が出たりします。

 

戦後の経済成長について~論文サンプル


論文代行の書ける屋です。今日は戦後の経済成長についての論文サンプルを公開します。論文として戦後日本をどう取り扱うかは難しいところですが、本サンプルのような観点も効果的でしょう。

 

戦争により日本は多くの人材を失い、まさに焼け野原からの再スタートだった。また、不景気により、経済状態もどん底だった。しかし、朝鮮戦争による特需をきっかけに経済成長の一歩を踏み始めた。その後は、所得倍増計画や日本列島改造論などを実行し、アメリカに次ぐGDP世界第2位の経済大国にまで成長した。ここに至るまでの経緯に対する是非や、政治的な影響に関する意見は今も様々ある。

だが、この期間「アジアの中で日本がもっとも経済成長を遂げた」という事実は紛れもない。中国は人口が増えていたにも関わらず、文化大革命による停滞があった。アジア諸国には旧宗主国との争いもあった。朝鮮半島は冷戦の前線基地とされた。

日本だけ運良く戦火を避けたという見方もあるが、「経済力」に力を注ぎこんで成長を遂げた事実は誰も否定できない。公害問題や格差問題も現れたが、アジア諸国が容易に追いつけない程の経済水準までに達したのだ。こうした財務的な根拠や実績があって初めて、ODAを実施することができたのだ。

ODAについても、その運用方法には賛否両論ある。しかし、日本のODAによって、東南アジア諸国のインフラが整備され、今も有効活用されていることは事実だ。私が香港から東南アジアに行った際に、「日本が東南アジアのインフラを整備し、中国と韓国がその上に家を建てて利益を持っていっている。なぜ日本が利益を持っていかないのか」と現地の人に言われ、目が覚める思いだった。アジアの人が日本に対して好意を持っていて、かつ、日本の実績を認めていない限り、こうした発言は出ようもないからだ。

日本が世界に対して果たしてきた役割も直視すべきことなのだ。また、それらを正当に認識するだけでなく、現在にどれだけ生きているかも検証することであろう。

それから、「戦後の経済成長」と言われると、戦前がさも貧しかったかのように誤解されがちだが、そうとは言い切れない。次項で、戦前から戦時中における日本経済や生産力に注目したい。こうすることで、経済を軸にした近代と現代の間におけるつながりが見えるからだ。

論文サンプルー夏目漱石「こころ」


論文代行の書ける屋です。卒論代行や論文代筆のサンプルにはいろんなネタを選んでいますが、たまにはベタなものということで、夏目漱石の「こころ」感想文を公開します。

読書感想文やレポートではいろんな視点がありますが、「今と昔の共通点」に着目するのも重要な観点となります。

私が夏目漱石『こころ』を読んだのはこれが初めてではないが、昔読んだときと比べるとだいぶ読後感が違った。後半の先生の回想の手紙が印象的なのはもちろんそうだが、明治末の大学生の生活を垣間見ることができるのも面白かった。文系の学生が門外漢には意味のわからない哲学書を読んで解説してきたり、卒論に追われて論文をさらいまわったり、その提出が手を尽くしてギリギリ間に合わせられたエピソードを聞いたり、そういった点は今の大学生と変わらない。ただ就職についてはずいぶんのんきにしているのを見ると時代が違ったのだなあ、と思う。
そういったところは今も明治も学生は同じだが、やはり大きく違うところもあった。私たちが色々なところで「最近の若い人にはこういった傾向がある」とよく取り上げられているように、考え方の傾向とでもいうべきものは、時代を反映してどんどん変わっている。この作品の中で先生が言及した「明治の精神」がそれにあたるのかもしれない。しれない、と自信が持てないのは、先生の言葉が示しているものと、私がこの作品を読んで感じた「明治の精神」とが違うもののように思われるからだ。
明治の人であることが関係しているのかどうかはわからないが、先生もKもまっすぐで、言うなれば「熱い」性格だった。特にKは無口で勉強熱心、望みが高く、それでいてお嬢さんに抱いた恋心をどうすればいいかわからなくなってしまう純粋な性格の持ち主で、少女漫画に出てきそうだとさえ思う。自分に厳しく、とても真面目で遊びもしない、というまっすぐなところが昔の人らしいところだろうか、と感じた。だが、Kはそうして頑張ってはいたが、おそらくやりたいことはわかっていなかったと思う。高い精神を持ちたいとは思っていたが、それがどういうものかわかっておらず、しかも恋愛のような俗っぽいことは専門外であったから三角関係では親友に負けた。遺書にあった「自分は薄志弱行で……」という自殺の理由は嘘ではないように思う。まっすぐで厳しい「明治の精神」は、不器用なことも意味していたのかもしれない。
一方で、先生については、先生が手紙で自分を責めているような印象が言外にあるからかもしれないが、人間の弱いところが全部出てしまったかのような、そんな弱さを感じた。先生は「私」に対し、「人間は普段は善人でも、金が絡むと急に悪人になる」という旨のことを言っていたが、そういうことは本当に紙一重で転換してしまう。先生が気付いていたかどうかはわからないが、この言葉は「金」を「恋」に変えると先生にそのまま当てはまる。実際、恋愛のことになると友情がぎくしゃくする、ということはよく聞く話だし、むしろありふれた事態かもしれないが、客観的に先生がとった行動を眺めていると、なかなか残酷であるように感じた。確かに、恋愛の問題は難しく、面と向かって宣戦布告をしたところで友情に影響が出るのは変わりないだろう。また、一人の異性に恋をした人が複数いたら、その取り合いが戦いの様相を帯びてくることはある意味仕方のないことだ。戦略的に行動してその人を勝ち得たい、と思うのは自然だし、その人のことが好きであればあるほど、行動は狡猾になってしまうかもしれない。しかも、時代を感じさせる点だが、先生はKにこちらの恋心を黙ったまま弱いところを突いてお嬢さんから遠ざけただけではなく、恋人になるという段階を飛ばして結婚まで決めてしまった。Kの立場から見たら、完全に裏切られたと思うだろう。失恋はKの自殺の理由のすべてではなかったと思うが、引き金になったのだと思う。恋愛に鈍感で、むしろ軽蔑していたようにも見えるKが、その弱いところを認め、先生の前にそれを告白したのは、やはり友人だという信頼があったはずだ。それを裏切られたら、人生に迷っていたKは、すべてを失ったように感じるだろう。
このような自分に対する異常なまでの厳しさが、「明治の精神」なのではないかと思う。先生は、彼の魂を思って死ぬ、という意味で「明治の精神とともに死ぬ」と言ったのだろうか。それとも、責任のために死ぬ、という意味でそう言ったのだろうか。そこが私には疑問だ。だが、もし後者なのだとしたら、先生の行動は責任のない行為だと思う。自分のしたことに罪悪感を抱いているのなら、しっかりと職に就いて、静さんを死ぬまで養っていくのが筋なのではないか。そう思うのは私が最近の人間だからなのだろうか。
しかし、恋のために友人を裏切ってしまったのも、その罪悪感に耐えきれなくなってしまうのも、人間の弱さなのだと思う。先生が特別に弱い人間なのではなく、人間の弱い部分が全部出てしまったのだ。それは紙一重で起こることだから、いつ誰に魔がさして、人生が狂ってしまってもおかしくない。
登場人物の行動から、人間の性質のようなことなど、色々なことを考えてしまった。読者に色々なことを考えさせるから、『こころ』は今まで名作として読み継がれているのだろうと感じた。「私」が電車の中で先生からの手紙を読んで、どのように感じ、どのような行動をとるのかもとても気になるところだ。

(代筆サンプル、以上)

ポイントは後日解説したいと思いますが、ある程度の分量を書くことが求められる場合、論点をあらかじめ何個か明確にしておくことで、筆が進むようになります。

農業論文見本~さとうきび生産について


卒論代行の書ける屋です。今回は農業を題材にした論文代行の見本を公開します。ちょっとマイナーですが、さとうきび生産に着目してみました。沖縄の現状や農業に着目していたり、研究してみたいと考えたりしている方には有用な内容です。農学部の卒論だと、実験がイメージされがちですが、こういった生産性に着目する方法もあります。では、以下にサンプルを始めます。

 

一般的に、このような技術革新は産業自体の発展を促すことが多く、利便性の高い技術が生産性を高めて、その生産量もそれに関わる人々をも増やしながら産業が大きくなっていく。
 しかし、さとうきびを取り巻く環境はそうではなかった。平成21年までの沖縄県農林水産部の「さとうきび及び甘しょ糖生産実績」を参考にすると、さとうきびの農家戸数と収穫面積は、昭和40年前後のピーク時に比べると当時の約3分の1程度まで減少しているのである。これは産業規模の縮小を表しており、農家戸数と収穫面積の推移はゆったりとした右下がりのグラフを示している。ただ、その背景には生産性や品質の向上も見られ、収穫面積当たりの収穫量、農家戸数当たりの産出額は、減少している収穫面積と農家戸数とは逆に著しい伸びが確認できる。
ここで注目すべきことは、生産性と産出額の上昇が見られるさとうきびの収穫面積と農家戸数が減少している理由である。2006年の農畜産業振興機構の「さとうきび春植の適期植付・堆肥投入による単収向上(比嘉2006)」によると、その理由は以下のものだとされている。都市化による畑地の減少、さとうきび農家の高齢化による担い手不足を背景とする地力の低下、肥培管理の遅れ。都市化による畑地の減少や高齢化による担い手不足は、日本の農業全体が抱えている深刻な問題点の代表であり、沖縄県という一地区のさとうきびという一つの作物に焦点を定めてもその例外ではないということだろう。
また、興味深い点が肥培管理の遅れにある。技術の革新や進歩を自身の生産活動に導入しなければ、それらの恩恵を受けることはできない。つまり、品種改良については新しい優秀な品種を取り入れて管理して育て上げること、機械化に関してはそれらの機械を購入して適性稼動量をクリアすることが重要となる。そのため、時代の流れともいえる技術革新という生産活動の変化に対応できなかった農家、対応しなかった農家は、自然と生産性の面で不利を被ったのだと考えられる。
このようにさとうきびの生産技術の進歩とは裏腹に、その進歩を背景に減少しているサトウキビ農家とその収穫面積だが、沖縄県においてさとうきびは依然として全農家数の71%、全耕地面積の47%をも占める基幹作物である。特に離島においては、製糖業とパイプが繋がっている地域経済の要となる産業となっている。そのため、このまま生産規模や収穫面積が減少していくことは望ましいことではない。
技術の革新はとても素晴らしく、それによって多くのさとうきび農家の生産活動が効率化された。これは疑いようが無いことで、その効果も収穫面積当たりの収穫量といった数字で証明されている。だが、そういった技術の向上がさとうきび産業の活性化に繋がったかと言えばそうではないことは自明だろう。減少の止まらない右肩下がりの農家数と収穫面積がそれを示している。
 土地は限られているため、主要産業である観光業やサービス業のために使われていくことは一つの自然の姿ではあるのだが、前述したように地域経済の要となっているさとうきび産業が低迷することは非常に大きな問題となる。それを補助するための技術革新ではあったのだが、あくまでも技術は、さとうきび産業を取り巻く一つの要素でしかない。技術は人を助け、その効率化には大きな可能性が秘められている。しかし、根本的な問題である都市化による畑地の減少、さとうきび農家の高齢化による担い手の不足は、技術革新では直接的には補うことのできない要素なのである。
これらの問題、さとうきび産業の衰退については、技術だけでは論じることができない。向上していく技術と衰退していく産業。これらをつなぎ合わせるためには、農業政策やそれらを取り巻く経済について考えていく必要があるだろう。

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論文代筆が上手だとバレるか不安です~室町時代の論文サンプルを事例に


論文代行・卒論代行の書ける屋です。最近よくお電話で言われることの1つに「プロの人に代筆してもらうと、うますぎて私が書いたとはだれも思ってくれないのではないか・・・」という質問があります。実は同じ不安を抱えてお電話される依頼主様はたくさんいらっしゃいます。だいたい依頼される方の80%は、「あんまり上手に書きすぎないでほしい」とリクエストされます。

書ける屋の論文・レポートサンプルは様々な難易度で調整していますが、論文を書きなれていない方からすると、やや敷居が高い印象を持たれているのも現実です。

そこで、今回はちょっとたどたどしい感じのサンプルを用意しました!

サンプル課題「室町時代についてまとめなさい」

以下にサンプルを記載します。
室町幕府のしくみは鎌倉幕府のしくみとほぼ同じで、執権の代わりに管領をおいた。管領は北条氏のように一族だけではなく、細川氏、斯波氏、畠山氏の守護大名とよばれる一族が交代でついた。
しかし、室町幕府は自分の領土をあまり持っていなかったため、入ってくる税金も少なく、弱かった。
守護大名は、南北朝時代の動乱を通じて地頭などの武士を家来にして自分の領地にしていった武士である。細川氏、山名氏、大内氏、赤松氏などが有力な守護大名で、後の守護大名の対立は応仁の乱の原因ともなる。
この時代の農民は、神社などに集まって、寄合を開いて、村の自然や用水路の管理、お祭り、年貢の納入、村のルールなどを話し合うようになっていた。ここで決められたルールは村の全員が守らなければいけないものだった。もしそれを破ると、村の他の人から罰を与えられるように、厳しいものだった。
こういったルールは、「自分だけが良ければいい」というものではなくて、「村のみんなで協力して生きていこう」という考え方だったからだと思う。
寄合では、ほかにも、農民たちが武器をもって領主や幕府に年貢を軽くするように求めたり、借金を帳消しにする徳政令を求めたりもする相談もここで行っていた。
そのため、この時代には、一揆と呼ばれるものが多く起こった。
たとえば、1428年の正長の土一揆では、農民だけでなく、近江の馬借たちも農民も加わった。
1485年の山城の国一揆では、山城の国人らが守護の畠山氏を追い出し、その後に
8年間も自分たちだけで政治を行った。
1488年の加賀の一向一揆では、加賀の一向宗の信者が、守護の冨樫氏を倒し、その後約百年間も、農民と武士と僧が国を支配した。
このように、人々は、自分たちの村は自分たちで守って、自分たちで政治をする必要があると考えて、実際にそのとおりに動いた。
1467年に、8代将軍足利義政のときに、9代目の将軍を誰にするかで意見が分かれ、守護大名の細川勝元と山名宗全が東軍と西軍に分かれて、京都をで戦争を起こした。11年間続いたこの戦いが、応仁の乱である。応仁の乱によって、京都は焼け野原になり、また幕府のお金もなくなった。そして、幕府の力も権威もなくなった。
応仁の乱が終わったあと、足利義政は、息子の足利義尚に将軍をゆずった。義尚は、将軍の権力を回復をするために、自分に従わない近江守護の六角高頼をたおすために出陣した。しかし、相手が強く、1年以上も戦ったが、1489年に病気で死亡した。翌年に義政も亡くなってしまった。
10代将軍となった足利義材は、六角高頼を近江から追い払うことに成功した。
そして、幕府の権威に頼っていた守護大名の権威もなくなったから、守護大名の家臣や部下だった武士が領地を支配し始め、大名になっていった。また、前に述べた一機も、守護大名の権威がなくなったことが原因である。
こうして、室町幕府は衰退し、日本は戦国時代になっていった。各地に領国を形成した大名が、応仁の乱の後、守護大名を倒して領国の支配権を獲得していった。家臣団の組織化・分国法の制定・検地・城下町の建設・商工業の保護統制などを行って領国統治、軍事力強化に努め、領国の拡大を求め激烈な闘争を行った。

(サンプル、以上)

ちょっとたどたどしかったり、「文章が苦手な人がなんとかがんばって調べてまとめたんだな」という雰囲気が出ているように思えませんか・・・?

私たち執筆者は、論文のプロなので、当然きっちりした論文を短期間で仕上げることは慣れています。でも、依頼主様にとって重要なのは、「私でも書けそうなものをちゃんと書いてくれるか」ですよね?ですから、あまりにも堅苦しい論文を納品することは基本的に避けています(もちろん「教官が厳しいから格調高く書いて欲しい!」という要望を頂けば、堅苦しい論文を代筆します)。

では、どうやって難易度を調整するのか。

実は、依頼主様とのメールでやりとりさせていただく間に、句読点の打ち方や接続詞の使い方、誤字脱字がどのくらいあるのかといった部分を見させて頂いています。文章のクセは人それぞれあるので、完璧に模倣するのは難しいですが、大まかな傾向はマネすることができます。

また、これまでに書かれた文章やレポートも添付頂くと、そこでの文章のクセも反映して執筆さえて頂いております。以上になりますが、こういった見えない部分での取り組みによって、不安を少しでも和らげられるような原稿を納品させていただいております。

 

 

 

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老人福祉論サンプルレポート


こんばんは。論文代行・卒論代行の書ける屋です。福祉や介護の分野で勉強されている方のために、今回は老人福祉論のサンプルレポートを公開します。当社にもこの分野の代筆の依頼は多く来ますが、「高齢者」と聞いてイメージされる景色が人それぞれあまりにも異なるため、レポートで評価を得るのが難しいと感じている方が多いです。では、まずはレポートをご覧ください。
高齢者の社会的孤独を防ぐためには、地域の協力と高齢者の積極性が必要である(①)。まず、地域の協力とは高齢者に興味を持つことである。興味を持つとはその言葉通りに興味を示すだけでなく、そのあとの活動も含まれている。地域は高齢者を阻害するのではなく、高齢者に対しての地域でのイベントや、すごしやすい様な街づくり、例えば、バリアフリーやバスなどのインフラ整備、などを提供し、社会に出やすい環境を整える(②)ことが必要である。これは地域にとっても高齢者の知恵や知識が地域に還元され、経済活動も活発になるので地域の利益にもつながると考えられる。

次に、高齢者の積極性も必要である。地域や周りの人がいくら高齢者に興味を持ち、協力しようとしても高齢者の側にモチベーションや受ける気がなければ意味がなさない。そこで高齢者も趣味や生きがいを見つけ、積極的に外へ出たり、人との繋がりを作ったりして、地域の協力を受けることが必要である(③)。地域と高齢者どちらか一方だけが社会的孤独を無くすよう頑張るのではなく、両方が努力し、手を差し出すことが高齢者の社会的孤独を無くすのに必要である。

以上がレポート内容になります。上記サンプルで強調した三点を補足します。

(①)高齢者の社会的孤独を防ぐためには、地域の協力と高齢者の積極性が必要である

→このレポートの方向性を最初に明示しています。人間関係を円滑にする有名な言葉の1つに「ギブ&テイク」という言葉があります。高齢者福祉で抜け落ちがちな観点ですが、「私たちが高齢者に何かしてあげる」というスタンスばかりでは、高齢者の方にとっても真に幸せとは言えません。高齢者の方の知恵や経験など、彼らの能力が生かされるような形も作らないと、一方的な関係になって、無理が生じてしまいます。

(②)例えば、バリアフリーやバスなどのインフラ整備、などを提供し、社会に出やすい環境を整える

→具体例を挙げるのはどんな論文でも大事なことです。もっといい例も数多くあるので、ここはオリジナリティをぜひ発揮しましょう。

(③)高齢者も趣味や生きがいを見つけ、積極的に外へ出たり、人との繋がりを作ったりして、地域の協力を受けることが必要である

→①であげたように、「高齢者は何をすればいいのか?」という提言です。この問題に関係するすべての関係者が何らかのアクションを取ってこそ、長く無理なく続く社会をつくるうえで重要です。

以上が、老人福祉論のレポートサンプルと解説です。

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マーケティング論レポートサンプル

レポートのコピペはなぜバレるのか

マーケティング論レポートサンプル


こんばんは、論文代行の書ける屋です。今回はマーケティングで使えそうなレポートサンプルを公開します。「マーケティング」は身近によく聞く言葉ですが、語源や広がった背景などは意外と知られていないですマーケティング論の卒論やレポートを代行する際に、依頼主さんに質問することもありますが、本当に全然答えられない分野でもあります。逆に、こうした部分を知っていることで、論文執筆の際に深みを出すことができるようになります。

アメリカでマーケティングが発達した理由は、南北戦争後の生産力の急激な拡大に対して、それらを消費する市場が限られていたからである。そのため、過剰な生産力を生かすために、新たな市場を作る(market+ing)ことが必要で求められていたのである。そして、企業が市場の需要と供給を調節する必要に迫られ、様々な試みがなされたのである。また、アメリカは国土が広いにも関わらず流通機構が整備されるのが遅れたため、その状況の中で事業を営むため、生産側が広告等で顧客に働きかける必要もあった。
歴史を見ると、南北戦争後、鉄鋼脈、銅鉱脈、銀山などがつぎつぎと開発され、製鉄業をはじめ経済を支える基幹産業の基盤が築かれた。また、鉄道建設も進められていった。これによりアメリカは、膨大な生産力を生み出すことになったが、それによって産出される生産物の市場の方に目を向けると、当時の海外市場は、列強による植民地の領土分割がおおむね完了していた。そのため、アメリカの生産者は、自らの生産物を国内市場で販売することに重点をおく必要があった。
しかし、当時のアメリカの国内市場は、1890年代のフロンティア消滅によって限られていた。つまり、海外への市場開拓に当初から制約が加えられ、国内市場の拡大がほぼ限界に達するといった状況で、急速に拡大された生産力を前にして深刻な市場の問題が起こった。
アメリカでは1873年と93年の恐慌を間に挟み、彼ら起業家はほとんど10年ごとに深刻な不況や恐慌に見舞われるという経験をした。こうした状況の下で諸企業は、自らの生産物価格の安定維持を求めて、部分的には需要サイドに働きかける努力も含めて、相互に激しい競争を展開し、費用上の優位性と独占度の増大を求めて、積極的に新しい技術や科学的知識の取得とその産業化に腐心した。しかし、その結果、彼らの意図とは裏腹に、それぞれの産業市場において一層の生産規模・生産能力の拡大、したがって一般的過剰生産状況のさらなる深刻化に直面し、ここに、独自の問題としての市場問題の解決が緊急の課題として強く意識されるようになった。

以上がマーケティング論レポートサンプルになります。

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文学レポート「桃太郎と四人の力士の比較」の解説


論文代行の書ける屋です。前回の記事でお見せした文学レポート「桃太郎と四人の力士の比較」の解説をします。

1 テーマって何?

文学作品の比較は、極端に言うなら、「どんなところが似ていて、どこが全然違うのか」を明らかにすれば、ほぼおしまいです。もちろんまったく異なる作品を二つ並べても比較対象にならないですが、ある程度ストーリーなり時代背景が似ているのであれば、比較検証する価値が出てきます。

2 登場人物の場合分け

どの文学作品でも登場人物は複数出てきます(中には自叙伝のように例外もありますが・・・)。今回の桃太郎と四人の力士では、主人公とその他の登場人物に分けて書きました。

3 主人公の共通点

ざっくばらんに、ハッピーエンドなのか、バッドエンドなのかを分類し、ハッピーエンドならどんな終わり方なのかを把握します。桃太郎は皆さんご存知の通り、経済的にも家庭的にも幸福が訪れますし、四人の力士でも同様です。

4 脇役の共通点

多くの物語では、読者が感情移入する対象なので、脇役の処遇や微妙なことが多いです。桃太郎でも四人の力士でも微妙ですよね?論文としては、主役と脇役の格差としてまとめるのも一案ですが、今回は「彼らが主人公と出会わなかったらどうなっていたのか?」という観点から論じました。経済的にも家庭的にも彼らにはメリットがほとんど見当たりませんが、「主人公と出会えたからこそ、能力を発揮する場があった」という議論を提示しています。

5 違う点

二つ以上の文学作品を比較すると、異なる点はいくらでも出てきます。どこに切り口を当てるかで深みに天と地ほどの差が出ます。桃太郎と四人の力士でも細かい点では異なる点だらけですが、日本と朝鮮半島という地理的要因に焦点をあてました。

この地理的要因は、卒論やレポートを書く際に非常に便利です。半ばコジツケととられる場合もありますが、読者がなんとなく納得してしまう効果があります。他の分野でも生かすことができますが、「日本は海に囲まれていて、逃げ場がない」「大陸なら、どこへでも逃げていける」こういった地理的側面は書くだけで字数も膨らませますし、新たな視点を論文に持ち込めるのでおすすめです。

以上が、今回の解説になります。

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桃太郎と四人の力士

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文学レポートサンプル「桃太郎と四人の力士の比較」


卒論代行・論文代行の書ける屋です。文学の論文テーマということで、「桃太郎」と朝鮮半島の「四人の力士」を題材として論文サンプルを公開します。文学で卒論を書く際には、海外のものと比較するのもオーソドックスな手法です。様々な作品を比較することで、従来の研究では見いだされなかった発見が出てくることも多いからです。

では、以下サンプルです。

「桃太郎」と「四人の力士」を比較するにあたって、まずはあらすじを紹介する。

「桃太郎」

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました。おばあさんが洗濯していると、川上からどんぶらこどんぶらこと、大きな桃が流れてきました。

(内容をご存知の方が多いので中略)

鬼ヶ島に向かう途中、犬が出てきて「一つくださいきび団子。お供についていきましょう。」 次に猿が来て「一つくださいきび団子。お供についていきましょう。」今度はキジが飛んできて「一つくださいきび団子。お供についていきましょう。」犬、猿、キジの3匹は桃太郎の家来になり、船に乗って鬼ヶ島へ向かいました。

鬼ヶ島で酒盛りをしていた鬼たちに、犬はかみつき、猿はひっかき、キジはつっつきました。桃太郎は金棒を持った鬼の大将をやっつけました。「もう悪いことはしないか。」「もうしません。」

鬼が悪いことをして集めた宝物を車に積み、犬が車を引き、キジが綱を引っ張り、猿が後押しをして持ち帰りました。

「四人の力士」

 一人の力士が姫の救出を目指して旅をしている。途中4キロ離れた木の葉にとまっている蠅に弾丸を命中させる力士に会い仲間にする。また風より早く走れる才能を持った力士に会い仲間にする。次は台風を自由に起こさせる才能を持った力士に仲間にする。

 その後、魔法使いの怪盗に会い、走り競べに誘われる。風より速く走れる力士が担当するが、途中で居眠りをしてしまう。銃をうつ力士が枕に命中させ、やっと勝利をおさめた。怪盗は四人を閉じ込め、火をたいた。しかし、台風を起こす才能を持つ力士のおかげで無事に出る。怪盗の頭は最初の力士と激闘をして首を切られる。姫を救い出したことで、王様は最初の力士を婿にした。

桃太郎も四人の力士も道中で個性的な才能のあるものを仲間にし、倒すべきものや目標のために冒険をする。そして、褒美を手にするのは、最初に目標を立てた桃太郎と最初の力士という点も共通する。

これらのストーリーから見えるのは、当時、自分から何か事を始めた人が得られるメリットの大きさである。自分から何か事を成し遂げようとする人のもとには、必要な人材が集まり、最終的には目標を成し遂げられる、というメッセージが両方の物語にこめられている。それと同時に、リーダーに追従するものにとっての最大の報酬は、名誉や資産ではなく、その才能を発揮する場が与えられることであるという点も共通している。

桃太郎では、犬はかみつき、猿はひっかき、キジはつっつくという才能を発揮して桃太郎の目標達成に貢献した。だが、かみついたりひっかいたりつっつくという能力は日常的にはほとんど役に立たない。本来ならば「きびだんごを恵んでもらえる」ほどの価値はない。

四人の力士では、4キロ先に弾丸を命中させたり、走る才能や、台風を呼ぶ才能も、日常生活で生かされる機会はほとんどない。桃太郎や最初の力士に協力して貢献したにも関わらず、たいした褒美を得られなくてかわいそうだと見ることも可能だが、彼らにとってかわいそうなのは、ずっと「才能を発揮する場がなかった」ことではないだろうか。桃太郎では、きびだんごすら桃太郎と出会うまでは恵んでもらえず、四人の力士の他の三人の力士は才能を発揮する場所すらなかった。もし、優れた桃太郎や最初の力士のようなリーダーと出会わなければ、彼らは何もなすことなく埋もれていたであろう。そう考えるならば、彼らは「才能を発揮する場」という最高の報酬を手にしたと見ることも可能である。

その一方で、リーダーであった桃太郎と最初の力士は莫大な報酬を手にする。これは、打ち立てていた目標の大きさによるのではないだろうか。大きな目標を打ち立て、その実現のために周囲を巻き込み、苦難を乗り越えて成功するにはふさわしい報酬だと、物語の作者だけでなく、両国における読者たちの支持が積み重ねられてきた証しだと筆者は考える。

では次に、桃太郎と四人の力士の差異に着目する。桃太郎では、猿もキジも犬も、最初にきびだんごを恵んでもらったことで仲間になった。そのため、適切な仕事をし、能力を発揮した。それに対して、四人の力士では金銭や物のやりとりが見られない。無報酬だったのである。そのため、速く走れる力士はあろうことか途中で居眠りをしてしまう。寝てしまう、という行為から、最初の力士のミッションへの情熱を感じていなかったのではないだろうか。また、そのミッションへの情熱のためには、金銭なり物なり、何らかの要素が必要だと考えられる。

それから、重要な差異として、倒すべき相手に対して自発的に向かっていったのが桃太郎なのに対し、四人の力士では倒すべき相手が向かってきた点が挙げられる。桃太郎には、最初から鬼という倒すべき相手が思い描かれていた。だから、道中で動物たちを餌付けしてでも仲間に引き入れた。それに対して、四人の力士では倒すべき相手が最初は見えていなかったのではないだろうか。もし相手が声をかけていなかった場合、話が成立しなかったであろう。この点について、筆者は島国で逃げ道がない日本と、大陸で逃げ道ならいくらでもある朝鮮半島の歴史の差異があると考える。目の仇がどこにいるか、日本ではわかる文化なのに対し、朝鮮半島では必死に探して見つけ出すなど、幸運に頼るべき部分があったのではないだろうか。そのため、四人の力士は、相手に声をかけられるという千載一遇のチャンスを生かすという筋立てになったのだと考えた。

(サンプル、以上)

次回の記事では、上記サンプルの解説をします。

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