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これまでに代行したレポート、卒論、昇格試験論文の冒頭部をご紹介いたします。
(1) 雨月物語 青頭巾の考察~曹洞宗の勝利
(2) 現代政治理論レポート
(3) 世界金融危機以降の日本経済について
(4) 中野重治「村の家」作品分析
他にも、弊社ブログ(右側の最新情報です)にて、論文やレポートのサンプルを随時更新しているのでご覧ください。
(5)レポートサンプル:「一人前」でない者の人権~日本国憲法とマイノリティの哲学 (6)論文サンプル:幼少期のスキンシップ
(1) 雨月物語 青頭巾の考察~曹洞宗の勝利
はじめに
本論は、雨月物語の青頭巾を考察する。その中でも特に、寺をもとの真言密教から改宗して、曹洞宗の霊場となったという結論に焦点を当てたい。なぜなら、この物語の隠れた主題は、真言密教(平安旧仏教)の無力化と、それに対する禅宗(鎌倉新仏教)の台頭にあると考えたからである。青頭巾では、真言密教の僧が、同性愛、小児愛、食人と尋常ではない行いをして、鬼となった。これを、曹洞宗(禅宗)の僧侶が諭し、成仏させるのである。
本論が真言密教から曹洞宗への改宗を焦点に考察することで、当時の価値観や時代認識がより深まると考える。その上で青頭巾を読むことで、更なる理解が得られるのではないか。
なお、青頭巾に出てくる主人公の改庵禅師は改庵妙慶といって、下野国大中寺を創建したことで知られる実在する僧侶である。伝承によれば、下野国大中寺は1154年に真言宗寺院として創建されたという。1489年に豪族の小山成長が快庵妙慶を開山に招いて再興した。この時が実質的な創建とみなされる。
雨月物語のあらすじ
改庵禅師が美濃国で夏安居をした後、東北のほうへ旅に出る。下野国富田へさしかかったのは夕方のことだった。宿を求めて里に入り大きな家を訪ねると、禅師を見た下人たちは、山の鬼が来た、と騒ぎ立て、隅に逃げる。
・・・(以下略)
(2) 現代政治理論レポート
はじめに
本レポートでは、「パワー・エリート論と3次元的権力論」と「ステイティストとネオ・マルクス派の国家論」を取り上げ、その内容を概観した上で、1950年代以降の日本のエネルギー政策、原子力政策、原子力発電所の立地政策等に適用し、理論の意義・可能性・問題点・限界について論じる。
2.政治理論について
2-1 パワー・エリート論と3次元的権力論
パワー・エリート論とは、社会学者のC.W.ミルズによって始められた権力理論である。彼は、政治社会は、少数の権力エリートと多数の大衆に分化しているものだととらえた。権力エリートには3種類ある。それは、大企業を中心とする経済エリートと、軍部による軍事エリートと、官僚を中心とする政治エリートである。これらの組織的なエリートが権力資源を利用し、国家の中枢を制御しているとミルズは主張したのである。エリートたちの利害関係は相互に一致するため、協力して複合体を形成していく。そして、彼らが多数の大衆を操作していくのである。
次に、スティーブン・ルークスが、権力を個人や集団の能力として捉えた3次元的権力論を取り上げる。彼は、権力を3類型、つまり、1、2、3次元の権力に分類した。
1次元的権力とは、社会的紛争を伴うような争点に対して、何らかの決定がなされる際の行動に現れるものであり、決定を行う力である。
・・・(以下略)
(3) 世界金融危機以降の日本経済について
1、はじめに~世界金融危機が日本経済へと与えた影響
2007年のサブプライムローン問題から引き起こされたアメリカの住宅バブル崩壊を契機に、2012年現在に至るまで爪痕深く続いている国際的な金融危機は、当事者のアメリカ経済や欧州経済だけでなく日本経済にも多大な影響を与えた。IMFのWorld Economic Outlookの2009年10月期報告によると、世界経済成長率は2008年の3%から2009年には-1%に戦後初のマイナス成長を記録しており、先進国における2009年の成長率は-3.4%とされアメリカの経済不調による煽りを他の先進国が受けた結果が確認できた。このような世界規模の同時金融危機は実体経済にまで波及し、世界経済は深刻な同時不況に覆われた。
この実体経済における同時不況は世界規模での貿易取引量を縮小させた。その結果として、金融危機の発端となった中心地であるアメリカ以上に、アメリカを輸出先としていた輸出依存国への経済打撃が深刻に現れた。その代表として挙げられるのが日本である。ドイツやEU諸国にもその傾向が見られたが、アメリカ経済への依存度で比較した場合、日本の景気後退はより深刻であったと考えられている。
2003年以降の日本経済の成長は、為替レートを利用した輸出に傾倒したものであり、度々国内の成長と比較されては”実感なき経済成長”と揶揄された。2000年代に入ってから徐々に成長を続け、2007年においては実質GDPに占める純輸出の割合は16%にもなってピークを迎えた。主要の取引先はアメリカと経済成長の大きな新興国で、外需依存型の経営をする企業が増加した。その反面、国内の成長は著しくなく、2000年代の雇用報酬は伸び悩んだ。バブル崩壊で植えつけられた国内企業のレバレッジ投資に対する警戒から、外需の増加とミスマッチなほど国内への投資額が小さく、世界経済における日本経済と国内経済の間に大きなギャップが生まれていた時期だった。比較的安易な投資先として考えられるインフラ系は、建築基準法の規制や原油・原材料価格の高騰によるコスト増加の影響で低迷していたこともギャップの広がりに拍車をかけていた。
・・・(以下略)
(4) 中野重治「村の家」作品分析
『村の家』は、中野重治が一九三五年に総合誌『経済往来』の五月号に発表した短編小説であり、封建的国家主義に対してプロレタリア文学や共産主義が崩壊していく様を描いていく、いわゆる「転向文学」の代表作として知られている。『村の家』のごくおおまかなあらすじは、次の通りである。
文学面から共産主義運動を行ってきた主人公「勉次」は、帰郷し実家の農家で暮らし始めていた。彼はその活動を理由に投獄されたが、さまざまな事情からその主義を曲げて「転向」することを半ば条件として釈放されたのである。しかし、彼の父「孫蔵」との話し合いの中で、勉次は今後も自分は筆をとり続けるという決意を伝える。
この主人公「勉次」の境遇は、ほとんどそのまま筆者中野重治のものであり、『村の家』は中野重治自身の事を描いた私小説であるといえる。
当時、満州事変を機に日本は国連を脱退し、軍備拡張路線を進んでおり、国内では共産主義・マルクス主義に対する弾圧が強まる一方であった。この『村の家』も、発表当初は検閲によって至るところに伏せ字が用いられている。そういった時代背景から、筆者中野重治は三二年の春に投獄されたのである。そして作中の勉次同様、転向の後、三四年の夏に釈放された。作中でも描かれているが、他の活動者も多くは弾圧に屈して転向し、その転向の理由、すなわち言い訳を描いた文学を発表したり、普通の職業に就いて活動を全く止めてしまったりしており、一貫して活動を続けるものは少なかった。
『村の家』の注目すべき点の一つは、社会主義活動を行って逮捕され、その後転向してしまった勉次が、彼の家族にいったいどのような影響を与えてしまったのかを表すことをつうじて、この時代において一般の民衆にとって社会主義活動がどのような意味を持つのかということを描き出しているということである。
・・・(以下略)